ロング・グットバイのBlu-rayのパッケージを見て思ったこと

映画のソフトのパッケージのデザインについて、また、現在の現在の日本における映像コンテンツの消費のされ方も含めて考えをまとめようと思い記事を書きます。

まず、この記事を書こうと思ったきっかけは、1973年ロバート・アルトマン監督作、エリオット・グールド主演の映画「ロング・グッドバイ」が日本では初めてBlu-ray化され、私はこの映画が好きなので、発売の発表とともに予約をし、先日の発売日に入手をしたことからはじまりました。

この映画はこれまで画質があまり良くないDVDが2バージョン出ていました。撮影の素晴らしさがよく語られるこの映画のBlue-ray化は非常に楽しみでした。
DVDパッケージ

前提として、古い映画がBlue-ray化される際にただ映像がフルHD化するから画質が良くなるわけではなく、高画質なソフト化を前提にマスターフィルムが再制作されリマスターがされることによって画質というか、映像ソースそのものがリマスターされることに意味があります。
最近では、過去にTV等で使用された吹き替えなどを収録したり、特典映像をつけたりして、比較的高額な価格帯でBlue-ray化をする場合が増えてきたように思えました。
「ロング・グッドバイ」のBlue-ray化もこの流れに類する商品でした。
「ロング・グッドバイ」のBlue-rayの商品のイメージ画像をアマゾンで見た際はまあまあ良いデザインのパッケージかなと思いました。
しかし、実際の商品が届くと、なんだかイマイチパッとしないデザインのように思えました。

これはまず第一にケースが青いケースであったことに起因します。
Blu-rayのソフトはメディアの規格が成立する際にビデオテープでVHSとベータの規格があったように、Blu-rayの他にHD DVDという似たような規格がありました。
結果的にHD DVDは競争に負けて現在は殆ど見ることもありませんが、この2つの規格があった時代にケースの色で差別化を図るために多く青いケースが標準色としてBlu-rayのソフトで採用されたことの名残があるためです。
(ちなみにHDDVD DVDは茶色だったかと思います。)
そのため1本1,500円程度の安価なソフトの場合は殆どの場合この青いケースが利用されています。
おそらく青いケースはBlu-rayのケースでは最も多く生産されている色だと言えると思います。

私はこの青いケースが嫌いです。
Blu-rayのケースはケースの上部にジャケットからケース本体がはみ出した部分があり、そこにBlu-rayのロゴが入っています。
(一部クライテリオンケース呼ばれるDVDケースのようにハミ大部分のないままサイズがBlu-rayのサイズになっているタイプのものも最近では普及しています。)
そのため、この青い色がどのソフトでもある程度の面積で見えることになります。
しかし、青い色が、ジャケットや、映画そのもののイメージと合わないことも多いのにもかかわらず、上記の理由からおそらくコスト的に多くこの青いケースが採用されている場合が目立ちます。
「ロング・グッドバイ」も2枚組のソフトであるため、ケースが特殊ケースになります。

おそらくコスト的な優先順位から青いケースになったのではないかと私は考えています。
そのためか分かりませんがジャケット裏面には青い色面があまり脈略なく配置されていました。
この「ロング・グッドバイ」は商品全体として観た時に、私にとっては青いケースも含めてあまり良いデザインとは言えないと思えました。
まず思ったのは「ケース青い」でした。そのあとなぜこれほどぱっとしないのだろうかと考えてしまいました。
そしてその時感じた違和感は、商品のタイトルのフォントに対してでした。

実際に現物を見ていただければわかるかと思いますが、これまでこの映画のタイトルデザインとしては使われてこなかったタイプのフォントが使われています。
おそらくジャケットデザインのグラフィックに合わせる形でデザインされたものだとおもいます。しかし私は特に、日本語タイトルに問題があるように思います。

おそらくですが、この映画は本編中のオープンニング及びエンディングのクレジットで使用されているフォントのイメージに寄せたような印象もありますが、縁取りとドロップシャドウのせいかずいぶん野暮ったく見えます。

仕方がないので透明のケースを持っていたので差し替えたところあることがわかりました。
このソフトジャケ裏にも写真が印刷されています。
しかも結構良い写真。
また、同封されていたライナーノーツはえらくカッコの良いデザインでした。
というかこのデザインならケースが青くても良いのでは?と思えます。
謎が深まります。
ソフトの内容自体は非常に良いものでした。
繰り返し観る映画になると思います。


よくこの手の話、特に映画のポスターデザインが日本版だけダサくなっちゃう問題がネット等で語られる時に、マーケティング上の要請によって生み出されるデザインについて特にそのジャンルのファンは理解が無い。という意見を目にすることが多いです。

簡単に言えば映画の宣伝はファンに向けたものではなく、例えば年に数回程度しか映画館に行かない人をいかに呼び込むかという観点でデザインされているのだから、映画のファンにとって好ましいデザインにはならないのが当然だという考え方。

これは分からなくはない。が、まず、今回私が問題にしている「ロング・グッド・バイ」のBlu-rayはあくまでその作品のファン向けの商品であるはず。
それは価格設定からも伺える。
実際、デザインの企画自体もそのような形で考えられた節はあります。凝っているのです。
しかし、ライナーノーツのデザインではできていることが、ジャケットデザインではできていない。というか明らかに別のデザイナーがデザインしていそうです。

デザイナーの力量かレーベルの限界なのか、この問題に関しては実は山程考えていることがあります。
私は本来デザイン畑の人間ではありません。
ですがこの問題は、私にとってはやはり重要で、それはこのようなデザインの仕事をしている人に対してどうこう思っているというよりは、どうして世の中にデザインとして現れるものがこういった形に私の目に映ってしまうのか?
今後も少しずつ記事にしていこうと思います。

白黒映画について考えた

今日、モノトーンの表現について考えることがあった。

20代や30代の比較的若い普段よく映画を見るという人複数と話していて、
「古い白黒映画は観ますか?」と聴くと「観ない」もしくは「見ることに抵抗がある」と答えが帰ってくるケースは多い。
当然、映画は現在性の強いコンテンツであるため、基本的には新しいものほど多くの人に見られるべきではあると思う。
しかし、ある年代以下の映画ファンと自認する人であっても白黒映画を「今」積極的には観ない。となってしまうのはなぜだろうか?
と少し考えてしまった。

また、美術、特に絵画の領域において、「若い作家が古色然とした色使いに拘泥するのは理解できない」という意味合いの意見をネット等で見ることがある。
(※これは単に渋い色使いに対しての否定的な考え方だけではなく、主に美術大学の日本画の教育における思想の色彩に関する傾向に対しての批評的な意見である場合もある。)
これには、私は同意できる部分と、果たして色彩だけで批評できる問題だろうか?と思う部分がある。

私自身は、20代の中盤くらいから絵画の制作においては墨を使った表現に取り組み始め、現在に至るまで制作する作品の多くはモノトーンに近い物が多い。
ただし、現在はモノトーンのくり返しからの脱却欲求から、取り組み方を変えつつあるが、あまりうまくいっていない状況である。

創作活動しているとたまに他人から〇〇らしさを求められてしまうことに辟易としていしまうことが多くある。
上記した若者らしさみたいなものも、若い時に「若者らしくない」と言われても本人にとって多くは「大きなお世話」でしかないように思う。

しかし、私の場合は22歳の時に小学校低学年くらいの子供からナチュラルに「おじさん」と言われたことがショックでその日のうちに髪の毛を金髪にしたことがある。
その時私にとって若さとは金髪だった。
正真正銘のおじさんとなった今、そのことを思い返してもその時私はただ金髪の22歳のおじさんになっただけだったと思う。
かなしい。

日本の美術大学における主に日本画などで見られる教育制度の傾向や、美術史上の問題を論ずるのはこの記事の本意ではないため書かない。
私自身は教育によって、必要以上に個人のクリエイティビティの発露に制限をかけた結果、制作をしている本人という当事者性の希薄な表現が身についてしまうことは不幸なことだと思う。
私自身にもそれは大なり小なり起こっっていることだと自覚している。

話を白黒映画に戻せば「古い白黒映画」は映画鑑賞においてはやはり「古典」であると言える。
そのため、映画を娯楽のためのコンテンツとして考えた場合にはやはり、食指が動きにくいものであることは否定できない。
また、今の20代からすればたとえ90年代であってもすでにそれはそれなりの「昔」である。
1950年代とかならまだしも1920年代や1930年代等はもう江戸時代と大差のないおおざっぱな意味での「昔」になってしまう。
そうなるととっつきにくさは遥か山のごとしとなってしまうのということになってしまうのは仕方がないだろうとは理解している。

しかし、白黒映画にしかない魅力は確かにあると私は感じている。
先日ブログの記事にも書いた「狩人の夜」のように、現在でも十分に楽しめるし、驚くほど素晴らしい古い白黒映画はたくさんある。
また、1990年代以降ごく最近(私にとっては)でも白黒で撮られた魅力的な作品は存在する上に、「ローガン」や「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のように公式に白黒のバージョンが存在する最近作も存在する。

いくつかピックアップして記事を終わろうと思う。

「カリガリ博士」1920年言わずとしれたドイツ表現主義の金字塔

「アッシャー家の末裔」1928年 アメリカ文学であるポーの短編をポーランド系フランス人のジャン・エプシュタインが製作した実験的作品

「赤ちゃん教育」1938年 ハワード・ホークスのスクリューボール・コメディーの代表作

「拳銃の報酬」1959年 ハリー・ベラフォンテ主演のえげつないフィルムノワール、OPクレジットがめちゃくちゃかっこいい

「袋小路」1966年 ロマン・ポランスキーの作品、映像がとにかく凄まじい

 

比較的最近の映画も、

「ありふれた事件」1992年 映画におけるバイオレンス表現のポストモダン化を考える時にこの作品は非常に重要だと思う。
ショッキングなものを観る覚悟がない場合は視聴をおすすめしない。

「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」2013年 アレクサンダー・ペインの傑作だと私は考えている。アメリカンニューシネマへの追憶と、リスペクトに満ちた鎮魂歌

「フランシス・ハ」2014年 今年「レディ・バード」で注目されたグレタ・ガーウィグがノア・バームバックと組んだ作品、

当然上記の映画以外にも、比較的近年の映画でも「ベルリン天使の詩」や「エレファントマン」「イレイザーヘッド」などのリンチの作品など枚挙に暇はない。
古い作品もしかりである。
現在ではかなりの高画質で観られる古い作品も多い。