映画の好きな構図 その1

私の映画における好きな構図について考えてみたいと思う。
まず今回は2点の作品を例に考えてみたいと思う。

1作品目
1962年
「アラビアのロレンス」
監督:デヴィッド・リーン
撮影:フレディ・ヤング

この超のつく名作に関しては、基本的にすべてのカットが非常に計算された構図で構成されており、映画のどのコマで止めても優れた構図を見ることのできる映画だ。
ここで私が挙げたいのはオープニングクレジットだ。
この映画はこの時代の大作映画の特徴でもあるイントロダクションがある映画で、映画が始まると画面が黒みのまま、5分ほど序曲が流れてから始まる。
この映画は主人公のロレンスの事故死から始まるが、オープニングはロレンスがオートバイに給油をして乗り出すまでの過程を俯瞰で映す。
画面ではシネマスコープの画面比率の左端に停車するオートバイにロレンスが給油をし、右側に広く空いた石畳の地面にクレジットが映し出される。
石畳は直線的な模様で、ここでの構図の妙な緊張感は素晴らしいの一言に尽きる。

私にとって映画表現において最も重要な要素は「距離」でありすなわちそれは「時間」である。
映画は絵画と比べると時間経過そのものを扱えるため、私はこの「時間」の要素をどのように表現するかということによく着目して映画を観ている。

このオープニングクレジットの直後のカットはロレンスがオートバイを運転する様子を正面から顔のアップで捉える映像になる。
ここではスクリーンプロセスは使われずロケーション撮影が行われている。
私は映画のこういった車載映像的なショットも好きだ。

奥行方向の動きを直接動かして表現することにいつも平面を描いている身として憧れを持って見ることが多い。

また、この映画では非常に著名な砂漠の地平線の彼方から人物が小さな点となって現れて、目の前にやってくるまでをワンカットで見せるオマー・シャリフの登場シーンも有る。
しかしこの映画映画はその場面にとどまらずオープニングのクレジットからヒリヒリした緊張感のある映像を観せてくれる。

2作品目
1966年
「袋小路」
監督:ロマン・ポランスキー
撮影:ギルバート・テイラー

この映画も60年代のイギリス制作の映画だが「アラビアのロレンス」の様な大作ではない。
しかしこの映画もすべてのカットが異常な緊張感のある構図で撮影されている映画だ。
映画自体は不条理劇に近い悲喜劇(トラジコメディ)でポランスキーがよく描く戯曲のような箱庭劇だ。

そもそも古城に住むリタイヤした中年作家と若くて美しすぎる不釣り合いな妻の夫婦のもとに、まさに絵に書いたような頭のおかしなギャングが迷い込んでしまう居心地が悪い状態の、一つも噛み合わないコミュニケーションで描かれる思わせぶりなコメディだ。
例に上げたシーンはお話の序盤に潮が満ちて自動車が水没しかけてしまうことに気がついて慌てふためく物語としては冒頭部分からの導入のつなぎのシーンだ。
なのにこれほど不穏に描いている。
ここではフィルターを使用して画面上部から暗いグラデーションをかけ、おそらく照明も使っての野外撮影だと思われる。
これは白黒撮影でできることを十分に生かした表現だ。
私はこの丘の向こうから人影が現れるシーンの明暗の配置とバランスには舌を巻いたと同時にこのシーンを何故これほどドラマチックにするのだろうか?
とも感じた。
しかしなんだかずっと心に引っかかりのあるシーンだ。
このシーンは夕暮れの夜になりギリギリのいわゆるマジックアワーと言われる時間帯を描いている。
この映画は時間の経過を白黒の映画であるにも関わらず、空模様や天気の移り変わりで表現してるところがある。
ちなみ丘のショットの直後のシーンは以下のような切り返しショットだ。

すでに何もかもがちぐはぐだ。

今回挙げた2点の作品のショットは実際には動く映像であり、映画全体の中の部分であるわけなのでぜひ観てみてもらいたい。

アラビアのロレンスのオープニングクレジットは平面的で線的な緊張感であるのに対して袋小路の丘のショットはグラデーションを使った表現だ。